家族の事

おばあちゃんが亡くなって、一昨日で一週間。

ボケ始めていたとはいえ、直前まで元気にご飯を食べていたので、ほんとうに急な事で驚きました。


危篤の連絡を貰ってから実家に行ったり来たり、そして葬儀。翌日は大学で成ちゃんのワークショップ、そして続いて展覧会の搬入、昨日の初日と一週間で起きたとは思えない気持ちにも体にも忙しい日々でした。

89歳。ほんと大往生で申し分ないけど、やっぱり寂しいもので。
体は弱いけど口が達者すぎて、いつも家族を困らせていたばーちゃんでしたが、病院で苦しそうにしてるのを見て、あー、もっと優しくしてあげたらよかったのにとかいろいろ思ったり、おむつを替えてあげた事もなかったなとか反省したり。

見舞に来てくれたおばちゃんが去年夫を見送った時に口の中を綺麗に拭いてあげてね、と話してくれたから、帰る前に乾いてくっついてしまった唇と歯を丁寧に拭いてあげた。反応があって、これがさよならだね、って思った。


死に化粧があまりにも綺麗で、「おまえも教えて貰ったらどうだ?」と父がニヤリとした。
病院で最後に見たおばあちゃんはとても苦しそうだったけど、遺影もニヤリとちょっと意地悪そうに笑ってて、そうそう、おばあちゃんはこうでなくっちゃって思った。


おばあちゃんはなんだかんだ大病していたから、常におじいちゃんの方がかいがいしくお世話をしていて、ばーちゃんがこんなに我がままになったのはおじいちゃんが甘やかすからだと言われるくらい、なんでもやってあげてた。


お葬式の時、家族は忙しくて、意外とおじいちゃんは泣いたりしていなかった。


自宅に戻って、家族がお勝手で雑談している中、おじいちゃんはひとりで仏壇に向かいお経をあげはじめた。

私もそっと後ろに座った。

いつもと違うお文さんを読み始めたから、アレ?と思ったら、おじいちゃんがポロポロと泣き始めた。

人は最後は白骨になるとういう儚さを説いたおふみさんだった。

まだ読んでる最中なのに、母がドカドカとやってきて、お経をさえぎり、「おじーちゃん!お供えのお花はこれでいいの!?」と今じゃなくてもいい事を何度も聞く。

あーあ、おじいちゃんがしんみりお別れしているのに、と残念に思った。


けど、これが家族。


ほかっておいてくれない図々しい関係。それがあって、おばあちゃんも幸せだったろうね。


5歳になる息子によると、ばーちゃんはエレベーターに乗って天国に行き、その街でまた産まれているらしい。

一歳、二歳って大きくなるんだよって言ってたから、教えてもないのに子供って不思議とそう思うものなのだな、と温かい気持ちになったり。

母も長い事ほんとうにお疲れ様でした。

自分も果たして義母さんたちのお下の世話をちゃんと出来るのだろうか?自信ないなー。

そして、展覧会も無事はじまり、今日は何だか眠くてたまらない。